2011.12.15.
潜入!キャットストリート

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 その日は突然訪れました。
春に歩いたキャットストリートの地下に入れることになったのです。
寒い寒い12月の朝、7時30分に集合しました。
そこには20人はいようかという東京都の下水道局の方々。
重装備と付け、諸注意を受け、この幹線の経路や歴史をざっとレクチャーいただいていざ、潜入!
さて、その様子は・・・。

1: 尾田さん
「地下の『春の小川』に潜入して」

小春日や 下水の川に 潜り入る  栄

 今回は皆さまのお骨折りで貴重な機会を与えていただき、得難い経験をさせていただきました。心より感謝と御礼を申し上げます。以下は順不同の感想です。

1)地下空間を滔々と水が流れ、「我が身のすぐ横をウンチが流れる」というのは異様な経験でした。敗戦直後の小学校では運動場が芋畑にかわり、「肥たご」を担ぎました。二人の呼吸が合わないとピチャピチャと糞尿が跳ね、顔にまでかかります。その匂いが想い出されました。
  こんな人工空間を都市が作り出している現実を知りました。われわれ人類が異常繁殖し、地球をいびつなものに変えているのを肌身で感じました。

2)この空間に潜り、日々の管理に携わっておられる方々のご苦労。その積み重ねの上に成り立つ都市生活。我が身をいささかなりとも振り返りました。

3)地下に閉じこめられたとはいえ渋谷川は生きていると感じました。生下水が流れる、いやほとんど生下水しか流れない水流となっても、その流域の生き様をそのままに映すという意味ではまさに『河川』です。法律の規定はともかく、私達の大事な「水の流れとその空間」です。

4)江戸の時代には、屎尿は汚穢舟で遠くは利根川まで運搬されて肥料(金肥)になり、結果として土壌浄化されていました。そんなシステムを現代に相応しい形でいかに再生するかが問われているのかも知れません。

5)下水道サイドと河川サイドが一緒になって、都市内の水環境をいかに再生するのか、真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか。
  その意味では、老朽化した施設をどうするのかが問われている今こそ大事なタイミングだと思います。
6)再度の東京オリンピックを目指すなら、「前回のオリンピックでの間違い(今となっては、という意味です)を正し、新しい二千年期を生き抜く都市再生のモデルとなる」というのは格好のテーマだと思うのですが・・・。

7)『地下の渋谷川(下水道)見学』を日常化できないでしょうか。特に学童にとって重要だと思います。そんな施設を造ることを考えては如何でしょう。パリの下水道施設内に下水道博物館があることはご承知かと存じます。
  今回潜った場所には、公園もあり可能性が大いにあるように思います。
その第一歩として、地下を覗けるようにマンホールに透明な窓をつける、地下を流れる水音を聞けるような装置をつける、等から始めるのも面白いかも知れません。

2:石井さん
 奥只見湖畔に自然保護を訴えた、開高健の碑が立っているということが書いてある本をたまたま読んだのが、あの暗渠体験から数日後でした。そもそも開高健が、奥只見湖に生息する大型のニッコウイワナが乱獲によって減少することを予言して憂い、実際にそのような状況になって保護運動が始まったときに、地元の有志の手によってその碑は立てられたそうです。碑には、「河は眠らない」という文字が刻んであるそうです。
 暗渠に入って驚いたのが、その豊富な流量と、ものすごい水音でした。道の下になっても、暗渠にされて下水道となっても、土地が記憶しているかの如く、明らかに河としか呼べないような力強さで流れていたのが印象的でしたが、それを端的に表現できなくてもどかしい想いがありました。全然シチュエーションは違いますが、「河は眠らない」という言葉がその時に感じたことを端的に語っているように思います。
 流れの地上のキャットストリートは、流行の先端地です。新しい店が開店し古い店は閉鎖される、新しい店主が来て古い店主が去ってゆく、ということが現実に繰り返される変化が一番激しい通りでもあります。しかし、新しいものは生み出された瞬間から既に古くなり始めているのであり、その意味で、流れには逆らえない運命を背負っています。ところが、古いものは、時代が離れれば離れるほど、古いところから遡ってくる力を持っています。古いものほど新しいのです。アールヌーヴォーなどはその気づきの芸術ですが、自然や環境というキーワードがますます重要になり、テクノロジーの寵児の象徴としての原子力の事故が起こってしまった現代にあっては、ますますオリジナルなものへの憧れは強まっているのではないでしょうか。過去の選択としてなされた処置や結果を再検証しようという思いは、それぞれに、何となく持っているのではないかと思います。果たして暗渠にして50年過ぎたが、このままでいいのか・・・と。
 しかし、同時に都市の機能としての下水道の大切さを感じたのも事実で、あれを道路の側溝に流したり、どこかに穴を掘って埋めたりしていたのではたまらないことになるということもわかります。また、近年のゲリラ豪雨や非常に強い勢力をもった台風の襲来、東日本大震災のような地震という自然災害の脅威への対応も十分に想定して考えてゆく必要があります。その意味では、もっとこの現実を体で体験して、理解してもらうことも必要なことと思います。日常生活をとりまくものが、実態として感じられないことが多すぎる現代です。日常食べる肉類も動物を殺すという現実のうえに成り立っているのですが、私たちはスーパーのラップにくるまれた肉の姿しか知りません。同じように、使った水が現実的にどうなっているのかをきちんと体験することで、流しておしまいにしてしまうだけではいけないことを知るべきだと感じました。
 私たちの活動は、最終的には渋谷に川を取り戻すことが目的ですが、それを取り巻くあらゆるものを、体験を通じてよく知ってこそ全体観を見定めることが出来てくるのであり、非常に貴重な体験だったと思います。みなさんも、何となくこわいもの見たさで集まったのだと思いますが、思いがけず大人数に膨れ上がってしまったことや新しいメンバーの参加がぐっと進んだ理由は、川の持つ神秘的なパワーの泉に引き寄せられたのかもしれません。その意味でも、まさしく渋谷川という「河は眠らない」のであります。

3:梶浦さん
「緩やかに蛇行する下水」

 キンッと空気が澄みきった師走の早朝。魚が泳いでたらいいな、という淡い期待を抱き、マンホールからキャットストリートの地下空間に潜入した。タラップを下りる途中でぬるく湿った空気に覆われ、鼻の奥に生臭さが溜まる。下りきって振り向くと、汚れた流れに対し、この日のために用意されたセイフティーネットやロープがあった。生下水だった。魚なんているはずもない。

下水道局の方々の安全面、衛生面への十分な配慮に改めて感謝。

股関節まである長靴を履き、下水の流れの中を歩いて行くと、そこはゆったりとした綺麗なカーブの地下空間だった。遠くは真っ暗で分からないけれど、地上の蛇行するキャットストリートが旧渋谷川の流れの痕跡だろう。

僕が初めてキャットストリートを歩いたのは15年程前で、歩いていると心が落ち着いた。その頃に同じような体感をした通りがある、コペンハーゲンにあるストロイエ通りだ。コペンハーゲン中央駅を降りチボリ公園を過ぎるとストロイエ通りが蛇行しニューハウンに至る。一方、渋谷駅を降り宮下公園を過ぎるとキャットストリートが蛇行し表参道に至る。街並みの構成が似ているうえに、ショッピングストリートが緩やかに蛇行していることも共通している。

キャットストリートの蛇行は、自然の川が大地に対して刻み込んだ流れを元にしたもので、歴史の中で幾多のストーリーの記憶が重なって、味わい深く魅惑的な雰囲気を醸し出している。

このストリートがいつの日か、春の小川を有した“ストリーム”として、緑豊かで潤いある歩行空間となったら愉しい。併せて東京オリンピックの頃、駐車場確保のためか、人工地盤の上に移動して通りのレベルから切り離されてしまった宮下公園も再びグランドレベル面で整備されればこの界隈の魅力はさらに増すと思われる。

武蔵野の地形は豊かである。東京が成熟した都市に向かうために、地形の文脈と無関係に強引に自然を貼りつけていくのではなく、もともと存在した微地形に耳を傾けて素直に都市をリデザインしていくと良いのではないか。東京は多様な生物と共生する魅力的な都市となる隠れた可能性を引き出すリデザインの手がかりを沢山もっているのだと改めて実感した。

4:高橋さん
 モデルのように着飾った女の子達が闊歩するキャットストリートの真下を、排泄物の混じった汚水が流れる・・・
それが、かつて童謡「春の小川」に歌われた渋谷川の現状だった。
一見、非日常的な光景でありながら、実は我々の日常そのもの。近代以降、我々の社会は、このようにして都合の悪い現実に蓋をすることで繁栄を成し遂げてきた。
しかし、社会の在り方や我々自身のライフスタイルが問い直されている現在、渋谷川を再生しようとする試みには、単なる下水道事業という以上の意義があるように思う。
渋谷川をキッカケに、人間と自然の関わり、人間と街の関わり、人間同士の関わり、そして真の豊かさについて、本質的な議論を促すことも可能なのではないか?と考えているところです。

渋谷川に光を。
人々の生活に潤いを。

5:永井さん
渋谷川探訪記

利と便の河隠し
今回に渋谷川探検で、最初に思い出したのが、宮崎アニメの『千と千尋の神隠し』。自然への畏敬の念を失ってしまった現代文明に対しての警鐘も込めらたこの映画には、川の神が登場する。コハク川はかつて、千尋の遊び場であり、「ハク」は、川で溺れる千尋を助けた過去も持っていたが、今は埋め立てられ「ハク」が帰るべき川はない・・。

また、物語の中には、御腐れ様という、ヘドロとゴミにまみれた、河の神様も登場する。この神様は、千尋の湯で浄化され、本来の力のある河の神の姿を取り戻し。めでたく自然に帰っていく。
まさに、渋谷川を連想させるお話。
渋谷川にも、今は、日の光さえ届かなくなってしまった暗渠に、それでもひっそりと、文明が産みだした膿みを一手に引き受けて人間を支えている、「神」が、御腐れ神になって存在しているように思えてしかたがない。

利害、効率を優先し、「もの」が価値の中心だった工業化社会は終焉し、「もの」より「心」の時代が訪れている今の日本。ただし、「もの」から「心」へのシフトに対応できていない事が日本に不況をもたらしている。「もの」の時代に閉じられ、御腐れ神になってしまった渋谷川。「心」の時代に今こそ、精神の拠り所になる 自然、川を復活させる時ではないだろうか?清流を取り戻すことは、精神、「心」の清らかさも取り戻すことにもなるはずだ。

御腐れ神 になってしまった渋谷川の神の、嘆きと悲しみを垣間みた探検だった。


6:牧野さん
 考えれば当前のことなのだが、都市の中に下水が流れていることや、こうしたインフラが陰で生活を支えていることを改めて実感した。
 ただ、社会的要請とはいえ、かつての川が下水に変わっていることは、少し残念な気がした。
 コウホネが咲いていた川が、人口の増加などで徐々に汚れ、蓋で覆われるというように、長い年月をかけて渋谷川は変化してきた。
 渋谷川ルネッサンスでは、渋谷川の復活を目指して活動しているが、そうした取り組みのハードルの高さを感じた一方、原形に戻すことは無理でも、再び川へと向かうような社会のあり方を考える時期に来ていると思う。
 実際の姿を見て、下水としての存在感と、社会の要請による変化の両方を具体的にイメージすることができた。
 ご協力いただいた東京都下水道局などの関係の方に、感謝申し上げます。

7:松井さん
旧渋谷川(千駄ヶ谷下水道幹線)に潜入して思ったこと

昨年から、渋谷川ルネッサンスに参加しています。最初の年はキャットストリートで打水体験、今年の5月22日には、陽光の中、渋谷川ウォークに参加して、小田急線南新宿駅から河骨川-春の小川の碑-明治神宮内の水源-原宿駅-竹下通り-噴水のある通り-キャットストリート-渋谷駅東側-稲荷橋まで歩きました。今は道路になっているものの、河骨川護岸の痕跡や、小河川独特の跡細やかで緩やかな曲線の道は、繁華街に親しみやすさと、穏やかな雰囲気をあたえていて、幹線道路や路地を歩くのとは異なるこのましい体験でした。様々な課題があるだろうが、小川が復活したらさぞかし素敵な風景になるだろうと漠然と思っていました。

その後、「春の小川」はなぜ消えたか」(原田光泰著)の丹念な調査に基づく著書を読み、渋谷川の変遷を知りました。

今回の、旧渋谷川(千駄ヶ谷下水道幹線)への潜入は、まち歩きや、本からの知識とは異なる、強烈なものでした。下水道局の方々の安全への配慮は、ふだん私たちが漠然と感じている下水道のイメージを覆すものでした。長靴を履き、安全帯とヘルメットを着け、手袋とマスクをつけて、ライトに照らされながら下水道に降りて行くと、暗闇と異臭と高湿度と細かなチリと水の流れる音に包まれ、長靴を通して感じる底質のぬるりとした感じが伝わってきました。目が慣れてくると、下水道の壁に、規則的な小さな穴が並んでいて、元はコンクリート3面張りの河川の護岸だったことが知れました。天井にはプレキャストコンクートの梁がびっしりと並べられて暗渠になっていますが、まさに河川の形状です。稲荷橋下流の低水路のある複断面の強固なコンクリートの流路のイメージが強く、上流も漠然と下水道のかたちをイメージしていたこともあって、河川のかたちに大量の汚水が流れている風景に、少したじろぎ、居心地の悪さを感じました。雨水と汚水がかつての渋谷川に合流して流れている風景は、私たちの都市生活を支える基盤である下水道幹線としては当然の姿としでしょうが、心にしこりの残るような、にわかには受け入れがたい風景でした。

それは、なぜ。
『36答申における都市河川廃止までの経緯いとその思想』(中村信一郎・沖大幹)によると、
「高度成長期において、東京では多くの河川が廃止され、その姿を消しました。その多くが、昭和36年に出された委員会報告、通称「36答申」によって下水道への転用が決定された河川であり、現在では二重河川として再生された北沢川も、唱歌「春の小川」のモデルとなった渋谷川の上流域も、本答申により姿を消した河川です。(中略) 昭和34年(1959年)5月、「36答申」における河川の下水道転用の理由は、1.技術的効率化 2.都市の環境衛生と美観の問題の解決 3.経済的効率化 4.住民からの要望 であったようです。また、下水道転用河川の選定基準は、1.水源を有さない水路 2.感潮がない水路またはその区間 3.舟運がない水路またはその区間 4.下水道処理場に自然流化でアクセスできる水路またはその区間 です。渋谷川は、水源を有さない河川で、下水道計画により改良される区間は、渋谷駅より上流、残存河川は、雨水吐き=下水道雨水幹線として利用することが決められました。渋谷駅より上流の暗渠化が昭和36年から昭和40年にかけて行われ、その後、昭和40年3月31日都告示第280号において準用河川区域の変更が行われました。これにより上流部の河川公用廃止が決定し、昭和25年「東京都都市計画下水道」から始まった「河川と下水道の重複」解消されました。」

つまり、何度も説明を受けてきたように、現在の渋谷川は河川ではないと・・・ 千駄ヶ谷下水道幹線であると・・・。
私が見たのは、河川に大量の汚水が流れている風景ではないと・・・いうことです。

さらに、「下流部についても、答申の翌年の昭和37年建国第1092号において「下水道雨水渠」(都市計画下水道)としての使用が決定されました。これにより、下流側の暗渠化が開始されるはずでしたが、36 答申決定後、河川局と下水道局との間で、再度下流部の下水道化の正当性について詳細な議論がなされ、結局、雨水管渠として都市計画決定はしたものの、昭和22 年における都市計画河川としての決定を残し、今後河川、下水道どちらでも改修が可能な状態とすることで落ち着きました。昭和61 年から平成2 年に行われた渋谷川の稲荷橋から渋谷橋までの改修工事では、蓋掛け前提で設計され、護岸を東京都建設局が、蓋掛けを東京都下水道局が、上部の緑道整備を渋谷区がそれぞれ施工する予定でした。しかし、事業着手後の築地川埋立てに対する住民反対運動をきっかけに、昭和63 年11 月に建設省および東京都において「原則として中小河川の新たな埋め立ては行わない。すでに中小河川を下水道幹線として暗渠化することが決定されている区間については、河川として存続すべく既定計画を見直していく」との方針が出せれ、これにより河川廃止の動きには終止符が打たれました。」以上 抜粋引用。

稲荷橋下流は、河川に戻るのか・・・。
では、上流は・・・。

これは、河川から下水道へ、下水道から河川へと河川を流水機能としてのみとらえる、私たちの都市河川に対する河川機能の単純化では・・・。
川の再生が、都市に快適さをあたえる親水機能や利水機能の追求では、また、別の居心地の悪さにいたるのでは・・。

私たち都市生活者が、都市の小河川固有の土地を川から奪ってきたが故の、心にしこりの残るような、にわかには受け入れがたい風景であるなら、改めて河川を復活させる際に、どの様な思想でおこなうのか。
親水や利水から始めるのではなく、先ずは、私たちが都市生活のために川から奪った土地を川に返すこと。都市に川の居場所を取り戻すこと。都市に川や川辺や水環境、水循環の場が、ありのままに存在することを認めることから始められないか。

今回、旧渋谷川(千駄ヶ谷下水道幹線)に潜入を通じて、このような体験と智に基づく、都市と川を考えるプラットフォームが必要な時だと 改めて思いました。

貴重な体験の機会を設けていただき、ありがとうございました。

8:村川さん
 子供の頃2、3才までは橋のかかった渋谷川を間近に感じて過ごしておりました。
としごの姉に「あそこの橋のたもとで拾われたんだよ」なんて言われ 本気にして悲しくなった思い出もあり東京オリンピックの時に川が暗渠となり遊歩道となった所にブランコや、滑り台、ジャングルジムなどが公園のように置かれ、小学生の時は近くなので良く遊んだり、花壇には沈丁花が植えられたり、季節になると良い香りがしていた記憶があります。
 今は遊具も段々減り沈丁花もなく、時には暗渠の側を通ると下からなんとも言えない臭い匂いがしており川の様子が気になっておりました。
 少し前に地方から来られた方か゛「渋谷の臭いは下水の匂い」と言われた事を聞いた時、ショックになりました。
 今回、川だったキャットストリートの暗渠に入れ見ることが出来、想像以上に水量があり、川が下水となっている状況を見て話しでは解っていたのですが、川が川としての思いがあるように感じました。
 下水は下水として大切ですが、臭いものには蓋をしても匂いはより一層何かを語りかけているように感じました。
 今年は震災もあり自然の凄さを痛感している時、資源に対しても、また昔の暮らしにも光を当て、渋谷は水が豊富な土地、穏田の水車というのもあったようです。
蓋がされて50年近くと聞き、また 今、自然と人間との共有を考えていけたらと思いました。
 下水道局の方々に安全に視察が出来ますようご配慮いただきまして、ありがとうございました。この体験をいかしていけたらと思っております。